30代半場というお年頃は40代以降の人生を本気で模索し始める時
このころの衝撃的な一つの出来事から、私の大人の人生第二章が始まった
今日はそのころ(36歳~37歳)感じていたこと、そこから移行した流れを書いてみる
Contents
1.周囲のため息族に絶望した(魅力覚醒講座に出会う前)
30代半ばになったころから、なんだか自分が歩みたくない方向に染められていく感覚があった
周囲からも、雑誌にも、TVや電車の中吊りからも「30代はこうするべし!」
「痛い大人になってはいけない」「年相応の格好をするのが正しい」「そうでない人は恥ずかしい」
というメッセージをあらゆるところで浴びていた
そしてそれらを吟味も取捨選択もすることなしに、真に受け続けた結果、
大好きだったショッキングピンクのカーディガンは「もう派手だから」と手放し、
特に好きでもないカーキや紺の服を買うようになった
恋愛市場でも「年齢」を理由に諦めを身に着けた人達と話す度、
そういうものなのか?と違和感を感じながらも反論もできずにいるうちに
いつしか自分の中にも諦め感が漂い始めた
今思えば、そういう思考を受け入れてしまっている「自分」のせいなのだけど、
当時はそれに気づいていなかった
クローゼットがどんどん「ときめかない服」でいっぱいになるにつれ、
私の人生からもゆるやかにときめきが消えていった
毎日こころ踊ることもなく、諦め感と閉塞感に覆われ、
なんだかいつも、肩身が狭かった
そのころ、私は都内の私立中高で英語科の講師をしていた
当時の職員室の私の両隣の先生達は、40代と50代男性
ふたりとも、ことあるごとに、毎日1時間おきくらいにため息をついていた
ため息だけならまだしも、愚痴もしょっちゅう
はたから見たら、二人とも健康そうで、仕事もあるし、家族関係もいい!という
ある意味「人生の成功者」に見えるのに、なぜか本人達はため息ばかり
そのころ、たまたま出向いていった英語勉強会の集まりで出会った
40代女性と帰りがけにお茶をすることになった
なごやかに互いの仕事の話などしていた最中、ふと、
「お休みの日はどんなことされているんですか?」と聞いてみた
そのころ、特にこれに夢中、というものもなかったから、
どこかに私の知らない面白い活動があるのなら、知ってみたい、という単純な質問だった
が、質問を聞いた瞬間、さっきまでのなごやかな顔が急に曇り、
暗くなったかと思うと「は~。。。」と、深いため息をついた
恐怖だった
40代になると、みんな夢も希望も失せ、生活に楽しみがなくなり
地味な色の服を着て、肩を落とし、ため息をつくしかなくなってしまうのだろうか?!
私の周囲がほとんどそんな人、ということは、私ももれなくそうなってしまう、ということなのか?
嫌だ!そんなの嫌すぎる!!!
そんな生きているのか死んでいるのかわからないような人生は送りたくない!!!
いや、待てよ。たまたま私の周りにはそんな人が多い、というだけで
この世の中のどこかには思いっきり楽しい大人の人生を歩んでいる人だっているんじゃないのか?!
でも、とりえあえず、家と職場の往復にはいない
ならば、家と職場以外で探すんだ!
そう思い立ち、夜な夜なネットサーフィンをはじめ、いろんなブログを読み漁るようになった
そうしてある日出会ったのが小田桐あさぎさんのアメブロだった
2.「こんな面白い大人が日本にいたのか!」という衝撃ー小田桐あさぎさんとの出会い
夜な夜なネットサーフィンをしていろんなブログを読み漁る中、
ひときわ目立ったブログがあった
それが「普通の女じゃ終わらない!戦略的ワーキングマザーの道」という小田桐あさぎさんが書いていたアメブロ
(現在は「自分の欲望を全て実現する」というタイトル)
1記事読んだらハマり、(確か旦那さんと2週間で結婚したエピソードあたりを読み始めた)旦那さんとのエピソードを一気読み
一晩読んだ頃には、完全にファンになっていた
アサギさんの文章は面白く、何度も吹き出しながら読むほどなのだけど、
それ以上に彼女の発想や、思考があまりにもこれまで私がリアルで出会った人達とは違い、
衝撃だった
アサギさんは現在ドバイ在住の女性起業家で、2人の娘さんと旦那さんがいる
もともとは少子化対策を真剣に考えた結果、
すべての女性が軽やかに結婚、子育てに踏み出しやすいように婚活講座を始めた人だ
その後自身の子育てや講座生を見て、「幸せな子育ては幸せなパートナーシップが肝だ」と気づき、
現在の魅力覚醒講座(セルフコンパッション含むマインド講座)を主催するようになる
アサギさんを知った時、「こんな面白い人が世の中にはいたのか!!!?」
という驚きとそんな人に出会えた喜びでいっぱいになった
こんな面白い人がリアルで会える距離いるなんて!これは是非、会いにいかなきゃ!!
気づけば会ったこともなく、説明会すら参加しないまま、彼女のブログ読んだだけで、
長期講座(当時30万)にポチっとしていたw(大事なことは本能で決める派)
(私は転勤族で大人になるまで地方の田舎暮らしが長かった。
行きたい!と思ったイベントがすぐに行ける距離にある、
というのは決して「当たり前」でなかったため、チャンス!とポチったのもあったと思う)
3.初対面の見知らぬ人の前で自分の内側をさらしていく緊張感
勢いあまって講座に申し込んだものの、いざ初日にあさぎさんとメンバーと対面すると緊張した
当時は六本木の一室で講座生5-6人にアサギさん、という豪華な比率かつ対面で
月1回、午後の講座+懇親会で昼過ぎから夜までずっとあさぎさんと過ごしていた
私はあまり人見知りをしないタイプなのだけど、
年齢も職業もタイプも全くバラバラの初めて会ったばかりの大人の女性4人の前で
あれこれ本音を話すのか、と思うと緊張した
当時のメンバーで学校の先生をしていたのは私だけで、
バリキャリ外資系女子、研究職女子、コンサル美女、育休中ワーママ、という
私とは何の接点もなさそうなメンバーに、自己紹介を聞いては
「この人達となんの共通点もなさすぎるんだけど、大丈夫かなぁ。。?」
と妙に不安になった
今日会ったばかりの人の前で、自分のこれまでの葛藤やら、
人に言いづらいようなことを口にするとか、ハードル高すぎる!
みんなの前で詰められたら、恥ずかしい
仮に頑張って、自分の本音を出せたとしても、
その時みんなになんて思われるかな?
ひかれたら、どうしよう。。。
と、初回の講座中は緊張で思考がぐるぐるし
その場にいるのがいっぱいいっぱいだった
「楽しい!!」という感情は全くなく、緊張と、
でもどこかにわくわく感も感じてはいたと思う
一見なんの共通点もないように見えるメンバーだけれど、
自分の人生を変えたい!と本気で思い、
あさぎさんの講座に大金を払う決意をしてきたという
熱い想いは同じだ、と気づくまでにさほど時間はかからなかった
講座の初めの頃、「罪悪感があること」について話した
一人の人が「自分は大好きなフェンシングの話を語ることを封印している」
と話してくれた
好きすぎて、オタクっぽいと思われて引かれるのが怖くて、
デートでも、友人にもなるべく出さないようにしているとのこと
彼女に「フェンシングのどういうところが好きなの?」と聞くと、
とたんに目がキラキラし始め、
好きな選手のことから、最近見に行った試合、ハマったきっかけまで
凄い熱量で話しだした
「それ、もっと出したほうがいいよ!」
とその場の全員で伝えた
彼女のおかげで、私はその日これまで1ミリも興味のなかった
フェンシングについてちょっと知れたし、
何より目をキラキラさせて楽しそうにフェンシングについて語る彼女は
とってもキュートで面白くて、魅力的だった
私が男性なら、その姿に惚れそうだ
本人が「封印しなきゃ!」とまで思っていた、全く魅力ではないと思っていた
長年の罪悪感が魅力の源泉となることがあるのなら
罪悪感だらけの私にも、もしかしたら、何かあるのかもしれない
そう思ったら、そのままのまだ魅力のかけらも見いだせていない自分に
ちょっと優しい気持ちになれた
と、同時にハイスぺ揃いのグループのメンバーに対しても
ここにいていいんだ、と思え、少しほっとした
4.自分軸で生きたかったのに、有給2日すら申請できない!?
講座の2回目あたりで、「嫌なことを辞める」というワークがあった
人はみな、新しい何かを始めるとき、これまでの生活に追加しようとするが
本当に大事なのは、付け足すことではなく、「辞めること」
辞めるからこそ、新たな大きなものが入るスペースとエネルギーが生まれる
だから何か新しいことを始めようと思ったら、
一番最初にやることは「辞めること」「捨てること」だ
六本木の1室で丸テーブルをあさぎさんと同期4人で囲みながら話す
あさぎさん:というわけで、まきちゃんは何を辞める?
マキ :余白づくりのために週5の仕事をこなすことを辞めます。有給とります
あさぎさん:いいね。今月、何日有給とるの?
まき :えっと、、1日
あさぎさん:1日は簡単すぎるでしょ~。せめて2日でしょ!
まき :え~💦💦月に2日も有給取得なんて。。。無理です。。
という会話をしていたことを覚えている
学校の先生をしていた頃、周囲は学期中に有給を取る人が少なくて、
自分の中にも「有給」という発想すらなかった
自分が休めば、その1授業の時間自習になってしまう、
試験前のコマ数が少なくなり、生徒に申し訳ない、と思っていた
体調が悪い日でも、インフルエンザにならない限り休むことはなかった
でも、あさぎさんに言われたので、
ドキドキしながらあえて、やってみることにした
私が一番休みたい日、それは私の誕生日
その日の時間割を確認すると、朝からネイティブ講師とペアで組んでいる
英会話の授業が午後まである日だった
ネイティブ講師ももう慣れているし、一人でもできる
休もう!と決意
したものの、妙な罪悪感がその日の朝まで出てくる
本当は休みたい!
でも特にたいした理由もないのに休むなんて(心の声)。。。いいんだろうか?
でも、でも、やっぱり今日(誕生日)は行きたくない!
と心の中で押し問答をしている間に最寄り駅についてしまった
もんもんと悩んでいるうちに、本当に具合が悪くなり、
お腹が痛くなるし、気持ちも悪くなってきた
覚悟を決めて、最寄り駅の隅っこから学校に電話し、
体調が悪いので、休みます、と一言
事務の人にあっさり「お大事に」と言われただけだった
電話が終わった瞬間、さっきまでの腹痛と気持ち悪さが消えていた
誕生日にお休みならしたかったことをしに、その足で原宿のbillsに出向き
リコッタチーズのパンケーキをゆっくり食してご機嫌で帰宅
翌日、「何か言われるかな?」とドキドキしながら学校にいくと、
「おはよう」以外誰にも何も言われなった
みんな、他人が有給1日とったくらいのことを気に留めるほど暇ではないのだ
あ、私の気にしていたことって、そんなもんだったのか、
と、自分の中のしょうもない思い込みが一つ崩れていった
こんなふうに「やりたい!」と思った小さなことを
一つひとつ自分に許可し、叶えに行ってあげる度に
自分の中に信頼が増し、それを受け入れてくれた周囲に感謝が溢れ
自分って幸せだな~!と実感することが日に日に増えていった
徐々に変わっていく景色
講座でグループごとのラインがあった
そこに毎日1日に何回もメンバーがその日の気づき、学びを投稿する
そこにサブ講師とあさぎさんもコメントしてくれていた
このラインが一日に何十通も来て、
他人の投稿をみては自分の発想のゆがみや思い込みにも気づかされる
そして自分も日々の小さな報告や発見を書くたびに、
メンバー達からフィードバックが帰ってきて
自分自身に対する深堀りがどんどん、もの凄いスピードで進んでいった
あさぎさんやみんなとのやりとりの中で
自分の中の長年の思い込みがどんどん外れていく
思い込みが外れると、その度に180度見ている景色が変わっていく
海外旅行に行ったわけでもないのに、頭の中が変わるだけで
こんなにも世界が変わるのか!?
と、一度体験すると、夢中になった
しばらくすると、同期で他のグループの講座生とも出会うようになった
面白い人達の周りにはユニークで面白い人達が集まるもので、
友達の友達を紹介され、どんどん輪がひろがっていった
紹介された時は初対面でも、同じ講座を受けている、
というコアな価値観を共有しているため、
初対面から本音トークで、あっという間に仲良くなる
大人になってから、本音でつきあえる友達がこんなにも増えると思っていなかった!
と、新しい驚きの連続だった
そして講座を卒業した後も、学びはその後に生かされ続け、NYに辿り着くことになるのだが、
この時は全く想像していなかった